2014年 12月 08日
四七日目 |
今日はピンクちゃんの四七日目。4週間っていうと大体1ヶ月なんだけど、月命日とは違うのね。当然のことなんだけどなんだか不思議。
たった4週間ですが随分時間が過ぎたような気がします。
お悔やみでいただいたお花もさすがにそろそろお役御免で、新しくブーケを作ってもらいました。
ピンクちゃんのお供え花は、てらいもなくピンク基調。お花屋さんでもお花選び放題です(笑)
アクアさんのは青を基調にしたいものだから、やたらと選択肢が少なくて大変なのだけど、ピンクちゃんは楽チンだー。
白いトルコキキョウに、淡いピンクと濃いピンクのバラを添えました。
グリーンとひよこ色のスプレーカーネーションをあしらってもらい、アクセントにはピンク色のヒペリカムの実。ヒペリカムの花言葉には「悲しみは続かない」というのがあるそうですが、ちょっとそれは無理かなぁ。ともあれ、可愛いブーケで満足です。
犬がいない生活では、なにをするのも張り合いがありません。勢い、ひきこもり生活になってしまって暇で暇でしょうがない。(そろそろ年末なんだしチュプとして暇を公言するのはいかがなものかですが(笑)大掃除でもしろとかいうツッコミは全力でスルーします。そんな気力はカケラもありません)
暇つぶしのために図書館で本を大量に借りては乱読してみたり、撫でる犬がいなくて遊んでる手を動かしておくために好きでもない編み物でショールを編みはじめてみたり。(ひたすら編みつづけるだけで目数かぞえたりしなくていいシロモノってそれくらいかなー、みたいな?)
昔は字があれば辞書読んでいても楽しめたのになぁ。無理矢理読みまくっているのでなかなか興がのりません。数だけは、3週間ほどで40冊ほど読みましたけれど、大体、借りるときに厚みを基準にして借りてるのとか、同一作者の本をまとめ読みとか、作業的すぎるだろう、と思わないでもないですな。困った困った。
なんでかほんわり幸せ気分になれそうな本になかなか当たらず、ホラーだのサスペンスだのアヤカシものだの怪談や怪異譚だの青春ぐだぐだモノだのできの悪い和製ファンタジーだの、そんな本ばかりなのはなぜだろう。どなたか幸せ気分になれる本をご存知ないですかー。(森見登美彦氏の「夜は短し歩けよ乙女」は、まあまあほんわかでした。それにしても、あんなに読んで1冊しか当たりがないってなんでやのんorz)
そんな無理矢理な娯楽に埋没しようとしていると、つくづくと二頭ちゃんがいた生活が恋しいです。
手が空いたなと思ったら、犬を撫でて遊んであげてかまってあげていれば楽しく充実していられたのに。
犬を飼う前には好きだった映画やコンサートや観劇に行けないことも、犬連れで入れない店舗があることも、お留守番や車中待機させることで慌ただしく落ち着かない気持ちになることも、お世話にとられる手間や時間や身体的負担も、確かに犬を飼うことでのマイナスと言えばそうでしょう。
でも、そんなものがどうでもよくなるほど、あの子達と一緒に過ごすことの楽しさと喜びは大きかった。
犬と暮らすことで失うものは、犬と暮らすことで得られる喜びを相殺するほどのものではなかったです。
犬と暮らす喜びを相殺しかねないのは、その子達を喪う悲しみだけ。
いや、相殺ではないですね。楽しかった記憶も、生々しい悲しみも、ただ厳然としてそこにあるわけで、プラスとマイナスを足してもゼロにならないのだから。
生きていた間に愛した分だけ、悲しみもまた大きくなる…こんなのは、古今東西の哲学者文学者がこぞって書き散らしてきた陳腐な結論なのですが、それがつくづくと我が身にしみることと知識として知っていることとは、まったく別物ですね。
…そしてそれすらもまた、陳腐な結論です。
たった4週間ですが随分時間が過ぎたような気がします。
お悔やみでいただいたお花もさすがにそろそろお役御免で、新しくブーケを作ってもらいました。
ピンクちゃんのお供え花は、てらいもなくピンク基調。お花屋さんでもお花選び放題です(笑)
アクアさんのは青を基調にしたいものだから、やたらと選択肢が少なくて大変なのだけど、ピンクちゃんは楽チンだー。
白いトルコキキョウに、淡いピンクと濃いピンクのバラを添えました。
グリーンとひよこ色のスプレーカーネーションをあしらってもらい、アクセントにはピンク色のヒペリカムの実。ヒペリカムの花言葉には「悲しみは続かない」というのがあるそうですが、ちょっとそれは無理かなぁ。ともあれ、可愛いブーケで満足です。
犬がいない生活では、なにをするのも張り合いがありません。勢い、ひきこもり生活になってしまって暇で暇でしょうがない。(そろそろ年末なんだしチュプとして暇を公言するのはいかがなものかですが(笑)大掃除でもしろとかいうツッコミは全力でスルーします。そんな気力はカケラもありません)
暇つぶしのために図書館で本を大量に借りては乱読してみたり、撫でる犬がいなくて遊んでる手を動かしておくために好きでもない編み物でショールを編みはじめてみたり。(ひたすら編みつづけるだけで目数かぞえたりしなくていいシロモノってそれくらいかなー、みたいな?)
昔は字があれば辞書読んでいても楽しめたのになぁ。無理矢理読みまくっているのでなかなか興がのりません。数だけは、3週間ほどで40冊ほど読みましたけれど、大体、借りるときに厚みを基準にして借りてるのとか、同一作者の本をまとめ読みとか、作業的すぎるだろう、と思わないでもないですな。困った困った。
なんでかほんわり幸せ気分になれそうな本になかなか当たらず、ホラーだのサスペンスだのアヤカシものだの怪談や怪異譚だの青春ぐだぐだモノだのできの悪い和製ファンタジーだの、そんな本ばかりなのはなぜだろう。どなたか幸せ気分になれる本をご存知ないですかー。(森見登美彦氏の「夜は短し歩けよ乙女」は、まあまあほんわかでした。それにしても、あんなに読んで1冊しか当たりがないってなんでやのんorz)
そんな無理矢理な娯楽に埋没しようとしていると、つくづくと二頭ちゃんがいた生活が恋しいです。
手が空いたなと思ったら、犬を撫でて遊んであげてかまってあげていれば楽しく充実していられたのに。
犬を飼う前には好きだった映画やコンサートや観劇に行けないことも、犬連れで入れない店舗があることも、お留守番や車中待機させることで慌ただしく落ち着かない気持ちになることも、お世話にとられる手間や時間や身体的負担も、確かに犬を飼うことでのマイナスと言えばそうでしょう。
でも、そんなものがどうでもよくなるほど、あの子達と一緒に過ごすことの楽しさと喜びは大きかった。
犬と暮らすことで失うものは、犬と暮らすことで得られる喜びを相殺するほどのものではなかったです。
犬と暮らす喜びを相殺しかねないのは、その子達を喪う悲しみだけ。
いや、相殺ではないですね。楽しかった記憶も、生々しい悲しみも、ただ厳然としてそこにあるわけで、プラスとマイナスを足してもゼロにならないのだから。
生きていた間に愛した分だけ、悲しみもまた大きくなる…こんなのは、古今東西の哲学者文学者がこぞって書き散らしてきた陳腐な結論なのですが、それがつくづくと我が身にしみることと知識として知っていることとは、まったく別物ですね。
…そしてそれすらもまた、陳腐な結論です。
by aaqua-pinkk
| 2014-12-08 16:28
| ヨシナシゴト
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